PLAY BOSSA NOVA/GQ Japan 7月号
Dmaj9、このコードから僕のボサ・ノヴァ・ギターとの出会いは始まった。二十年以上前になってしまったが、サン・パウロの片隅の『セン・ノーメ(名無し)』というバール(安酒場)で最初に教えて貰ったコードがそれだった。
そこでは毎晩明け方近くまで、店にある一本のボロボロのギターを皆で廻していろんな曲を演奏していた。結構皆上手かった。それぞれが独自のスタイルを持ち、同じ曲を演奏してもいろいろ印象の違うものを聞かせてくれた。その事をお互い競い合っていたりもしていた。プロもアマも関係なく、いろんな職業の人達が店にいる間は肩書きのないただの音楽好きな仲間だった。ギターを取り囲むように人が集まりマッチ箱を叩いたりガンザを振ったりしながら歌って過ごす・・、そんな風にボヘミアン達の夜は過ぎて行くのだ。
誰のコンサートだったか忘れてしまったが、その帰りに偶然前を通りかかり、楽しそうな雰囲気に誘い込まれるように僕は店に入って行った。ブラジルのバールはどこもそうだが、表は開けっ放しで、歩道にはみだしている人たちはグラスを片手に軽く踊ったりしていた。日本人(日系人を含めて)が殆ど来ない所で最初は皆驚いたようだったが、すぐに僕を受け入れてくれた。そしてヒマな時だと、頼むと皆なんでも気軽に教えてくれた。
ボサ・ノヴァで使う和音はかなり高度なものだ、と後年音大出の友人に聞いた事がある。コード理論の世界では中級の後半に初めて出てくるようなものだそうだ。でもブラジルの酒場の先生たちはそういった事は関係なかった。「お前が弾きたい曲から始めればいいよ。弾きたくない曲を押し付けられても楽しくないし、練習もしたくないだろう?」
僕が最初にリクエストしたのは「イパネマの娘」だった。酔っぱらいの先生は僕が差出したノートに乱暴にギターのフレットの図を書きコードの形に●を付けた後、それを目の前で弾いてくれた。そして理論的なことは考えないで、視覚的な形としてコードを捉える事と、とにかく数多くの曲を弾いてみることを教えてくれた。「たくさん曲を覚えれば、理論なんか勝手に分かってしまうさ・・」それが彼等のやり方だった。
Dmaj9は「イパネマの娘」の冒頭のコードだ。ギターを貸して貰って自分で弾いてみた時、その響きはまぎれもなくレコードで聴いていたものと同じで感動した。音楽的には高度な和音かもしれないが、実際弾いてみるとそれは意外なほど簡単だった。学生の頃少しだけ手をだしてすぐに嫌になったフォークなどの世界で使う和音は逆で、単純な音の積み重ねの割に、実際に弾いてみるとかえって指が開かないといけなかったり力が必要だったりして、それなりに難しい。ボサ・ノヴァで使われるようなテンションを含んだコードの方がかえって手の格好に馴染み易くできているのだ。そして基本的に指盤の左手は親指以外、弦を弾く右手は小指以外の四本の指が対応して動く弾き方は無駄がなく、ロー、ハイ・ポジションを自由に動く事ができる。彼等に説明されると、それまで何か堅くて一歩一歩こじ開けて行かないといけないように思っていたギターが、とても柔らかく自由な広がりを持った世界のように感じられた。
そしてあの独特のカッティングだ。ボサ・ノヴァのカッティングは難しいものと思われているが、その基本は音符にすると意外と単純なものだ。それだけを弾く事はある程度練習すればできるが、ただそれをどう表現するかによって、生きたリズムになるかどうかが別れる。
こういう言い方はどうだろう?例えば浮かした車輪のようなものを廻すとしよう。放っておくと車輪はしばらくすると止まってしまうが、手で力を加えてやると廻り続けることが出来る。その時ただ真直ぐに力を加えるとかえって回転を止めてしまうが、回転に沿って流れるように力を加えると回転は勢いを取り戻すことが出来る。ギターのカッティングは車輪を廻す手のようなものだ。自分の弾くギターが流れを作るというイメージだとどうしても直線的なリズムになり、流れはかえって止まってしまうが、すでにある流れをイメージし、それに乗っていくというスタンスで弾くと柔らかなスイング感が生まれてくるのだ。
もう一つ重要なのは歌う、実際に声を出すして歌うことだ。ブラジルのミュージシャン達は、器楽だけの演奏しかしない人でも練習の時などにはよく歌っている。ボサ・ノヴァのリズムにはポルトガル語の言葉自体のリズムが色濃く反映している。微妙なスイング感の源は言葉の中にも隠されているのだ。さらにボサ・ノヴァの曲には少しひねった表現のものが多い。例えば悲しそうな詞に明るい曲がついていたり、その逆もある。そういった事でベタつかない距離感を保とうとしているようだ。歌詞の内容なども少しでも知る事が出来れば、さらに多彩な世界が開けてくるだろう。