中村が担当したCDの解説。ボサ・ノヴァとジャズの違いを中村なりの論理で。
ドナート・デオダート/ジョアン・ドナート(ソニーSME SRCS-9550)
ボサ・ノヴァは、ブラジルのサンバがジャズの影響を受けて生まれてきたもの、という言われ方をする。それがボサ・ノヴァの一般的な捉えられ方、と言ってもいいだろう。でもそこには何となくボサ・ノヴァがジャズの妾腹の子ども、といったような、ジャズより一段低くみる傾向が感じられる。それと同じようなことで、軽くおしゃれ、というのがボサ・ノヴァを形容するのに最もよく使われる言葉であるが、その言葉の裏には真剣に取り組むものではない、というようなニュアンスも感じる。僕自身の経験でも、あるジャズ評論家に「ボサ・ノヴァは、ジャズ・メンが息抜きに演奏する軽い音楽」という風に言われたことがある。その時は内心あまり穏やかな気持ちではいられなかったが、その言い方はある面一般的なボサ・ノヴァの印象を代弁しているかもしれない。しかし果たして本当にそうだろうか?
ボサ・ノヴァ最高のクリエーターであったアントニオ・カルロス・ジョビンが、晩年カーネギー・ホールでのコンサートの際の記者会見で、ボサ・ノヴァに対するジャズの影響、という質問を受けて、ボサ・ノヴァがジャズに影響を与えた事はあってもジャズがボサ・ノヴァに影響を与えた事はない、という風に答えた事があった。質問した記者はジョビンがジャズにインスパイアーされ、或いはジャズから学んだものから数多くのヒット曲を生み出した、という答えを引きだしくて、執拗に同じような質問を繰り返したのだが、ジョビンは最後まで自分の意見を変えず、会場がちょっと鼻白む雰囲気に包まれた、という事だ。
ボサ・ノヴァとジャズは、ちょっとタイプは違うがスウィンギーなリズムやテンション・ノートを使うコード・ワーク等の点で似ているところが多く、そのことからジャズの影響を受けたサンバというような定説が導き出されて来たのだろう。しかしジャズはボサ・ノヴァを生み出すきっかけに影響を与えたかもしれないが、ボサ・ノヴァが単純にその方法論をなぞる、というような事はなかった。その二つは根本的なところでかなり違ったコンセプトを持っている。
例えばアドリブに関する考え方だ。ジャズはかなりな部分アドリブを前提にして作られていて、コード・ワーク等もアドリブ・プレーヤーの都合の良いように構成されている。コード進行に対して適したスケールを当てはめていけば、それなりのメロディ・ラインを作る事ができるのだが、ボサ・ノヴァは必ずしもそうはいかない。例えばジョビンのコード・ワークの中にはシンプルに見えるのにどこか簡単には割り切れない、隠し味的な要素をもった音が含まれている。それがアドリブ・プレーヤーには邪魔なものに思えるらしい。セッションでジョビンの曲を取り上げたりすると、アドリブ・プレーヤーの方から「このコードはやりにくいし、体制に影響がないので外そう」というような事を言われたりする。確かにそのコードは理論的な流れの上では無駄なものに見えるし、外すとよりすっきりした進行にはなるのだが、だからと言って、それを外してしまうと曲の中にあった独特の膨らみのようなものが失われてしまって、平板な印象になってしまう。言い換えれば似て非なるもの、と言った印象を持ってしまうのだ。その他にも歌詞を重視して作られた曲は、歌詞の赴くまま半端な小節数で構成されていたりして、それもアドリブ・プレーヤーにはネックになるらしい。勿論ジョビンの曲だけでなくボサ・ノヴァの曲は多かれ少なかれそういった要素を持っているのだが、それをアドリブを前提にしたものに作り変えようとすると、どこか薄っぺらな感じのするものになってしまうのだ。ジャズ系のミュージシャンたちの間でもボサ・ノヴァは数多く演奏されてきているが、間違ったコード進行のものだったり、陳腐なエキゾチシズムをなぞる事だけで終わっている例が多いのは、そういった違いを理解した上で演奏しようとする姿勢がないからだと思う。数多くのボサ・ノヴァ・クリエーター達がインタビューでその事を嘆いている。
どちらが影響した、というような事はともかく、ボサ・ノヴァが世界に羽ばたくのにジャズのミュージシャン達が大きく貢献したことは事実だ。スタン・ゲッツやポール・ウインターの成功がなければ、ボサ・ノヴァがこんなに世界に広まることはなかった、或いはもっと時間が掛かったかも知れない。ボサ・ノヴァが世界の音楽シーンに定着することで、同時にブラジルのサウンドが常に新しい波として、世界の音楽に影響を与えるようになった。そしてボサ・ノヴァ自体も様々な試みを経て多彩な側面を見せることになる。
一口にボサ・ノヴァといっても元来その形態は様々だった。メイン・ストリームにある都会的なサウンドとは裏腹にバーデン・パウエルやエドゥ・ロボなどが好んで取り上げた土着的な民俗音楽的なもの、表現に関してもジョアン・ジルベルトのように東洋哲学を感じさせるものから、セルジオ・メンデスのようにロック、ポップ的なアプローチまで様々である。またボサ・ノヴァにはアメーバのように、周囲にあるものを取り込んで形を変えて行くところがあり、そういった事から、少し形を変えたものが逆にジャズに影響を与えるという事が起こり始める。このCDにも参加しているアイルト・モレイラをフューチャーした、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォー・エヴァー」などは、ジャズの世界に大きな変革をもたらしたアルバムと言われているが、捉え方によっては、アイルトが持ち込んだボサ・ノヴァな部分がジャズに与えた影響の結果という風にも見える。前述のジョビンがインタビューで言おうとしていたのは、そんな事を指していたのかも知れない。
「ツァラトストラはかく語りき」(73)の大ヒットを記録したデオダート。コンテンポラリーなアレンジを特徴とする彼も、そのルーツはボサ・ノヴァである。12才でアコーディオン、その後ピアノを弾き始めた彼は、ギタリスト、ロベルト・メネスカルやドゥルヴァル・フェレイラといったボサ・ノヴァの中心人物達との共演からキャリアをスタートさせている。いわばボサ・ノヴァの第二世代といったところだ。独学でアレンジを学んだ彼は、自分の名前でジョビンの曲集や自分がリーダーを務めるカテドラチコスというバンドで数枚のアルバムをリリースする。そしてこれもボサ・ノヴァの最高のギタリスト、既にアメリカを拠点に活動していたルイス・ボンファの招きでアメリカに渡り、その後はフランク・シナトラ、トニー・ベネット、ロバータ・フラックなどの大物歌手や、ブラジルから渡米したジョビン、ミルトン・ナシメントなどのレコーディングでアレンジを務めて華々しい活躍を見せる。アレンジャーとしての活動が目立つ彼だがコンポーザーとしても、Razao de Viverといったボサ・ノヴァの名曲を作っている。
ジョアン・ドナートはボサ・ノヴァ最高のクリエーターの一人だ。ボサ・ノヴァの重要なレパートリーを数え上げれば、その中に彼の曲が多数含まれることになるだろう。しかし彼の場合、ボサ・ノヴァが台頭する60年代にはブラジルにいなかった。余りに斬新なプレイ・スタイル、そして天才と紙一重的な奇行が災いして、ブラジルでは受け入れられず、国民的歌手エリゼッチ・カルドーゾとのメキシコ公演をきっかけに既にアメリカに拠点を移していたのだ。彼の奇行は有名で、数年前小野リサのレコーディングとツアーで来日していた際の周りのスタッフは大変だったらしい。その時期僕はリオにレコーディングに行ったのだが、会うミュージシャン全員がドナートの動向を尋ね、「日本は大変で、リオは静かだ」と言って笑っていた。しかし彼独特のセンチメンタリズムと斬新なリズム(少しキューバ・ラテン的な香りもする)を持った曲は数多くのアーティストに取り上げられ愛されている。ドナートもスタン・ゲッツやネルソン・リドルといったアメリカのアーティスト達と共演すると共に、ジョビンやジョアン・ジルベルト、ドリヴァル・カイミといったブラジル人アーティストが来米した際にはそのアレンジャー、ピアニストとしてサポートを務めている。
ボサ・ノヴァをルーツに持ちその才能を別天地アメリカで主に開花させた二人のこのアルバムは、ジョビンが言った、ボサ・ノヴァがジャズに与えた影響の一つの形である。当時新進気鋭のランディ・ブレッカーやラテン・バンドのリーダー、レイ・バレットそしてアイルト・モレイラなど、まさにフュージョンという言葉通りのメンバーでインター・プレイを展開している。主にドナートが曲を提供しデオダートがアレンジを担当ているが、デオダートが「ツァラトストラ」を大ヒットさせた直後の録音で、そのラテン・ファンク的なアレンジは快調だ。そしてどこか人恋しいような気分にさせるドナートのメロディは彼の騒がしくて憎めないパーソナリティーを体現している。5.のYOU CAN GOはドナート自身が自分の作品の中で最も気に入っている曲だ。そして全体として表面的な印象はかなり変わっているが、内面のどこかでボサ・ノヴァの最も重要なセンチメンタリズム「サウダージ」を感じさせるアルバムだ。