[大人のコラム]

 


 ゲッツ・ジルベルト・アゲイン/解説

 1963年「イパネマの娘」の大ヒットを生み出したアルバム、「ゲッツ/ジルベルト」。ブラジルのリオを中心にした音楽ムーヴメントだったボサ・ノヴァは、このアルバムの成功を機に世界中の音楽に大きな影響を与えることになる。ジャズ、ポップス、日本でも歌謡曲などにまでボサ・ノヴァを謳うものが氾濫し、そして映画やデザインなどの他の分野の表現にまで広がっていく。今日ほど情報が発達していなかった当時としてはそれは画期的なことだった。そのうちの多くが陳腐なエキゾチシズムをなぞるだけのものだったとしても、少なくともボサ・ノヴァという言葉は浸透していったのだ。
スタン・ゲッツのボサ・ノヴァとの関わりはその前年の「ジャズ・サンバ」というアルバムから始まる。ブラジルを旅行中ボサ・ノヴァと出会い感銘を受けたギタリスト、チャーリー・バードが持ち帰ったブラジルで生まれた新しいサウンドを演奏する試みとして作られたアルバムだった。ジャズ・ギタリストとしては珍しいクラシック・ギターを演奏するチャーリー・バードにとってギターのカッティングが最高に活かされるボサ・ノヴァは魅力的に映ったのだろう。そしてゲッツのクールなサックスの音色とのコラボレーションでそれを実現させる。メンバーは全員アメリカのジャズ・ミュージシャンで、まだボサ・ノヴァを把握するというのにはほど遠く、それはそれで興味深い演奏ではあるが、両足に高さの違う靴を履いたようなぎこちないリズムのものだった。それでもゲッツを加えた事に関しては成功だった。ゲッツの簡潔にメロディーを歌う演奏スタイルはボサ・ノヴァに適していた。ゲッツはそれ以降ボサ・ノヴァを演奏するジャズ・ミュージシャンの代表的な存在になった。そしてそれは言わば新生スタン・ゲッツの登場でもあった。
テナー・サックスの第一人者スタン・ゲッツ。彼はそのクールなサウンドで早くから注目され、モダン・ジャズの巨匠の一人として'40年代の終わりから活躍していた。ヨーロッパでも人気が高く、しばしば北欧を中心にツアーをしていたが、'50年代の終わりにアメリカを離れ三年間ほど北欧に居を移したことでアメリカでの人気を一時失うことになる。'61年にアメリカに戻った彼はそのことに戸惑いを覚えるが、復帰第一作「ジャズ・サンバ」のヒットで見事にカムバックするのだ。ベタつかない距離感のある彼のサウンドそしてメロデックなフレーズはどこかボサ・ノヴァのスタンスと共通している。そう言った意味では彼がボサ・ノヴァと出会うのは必然的な事だったのかも知れない。
「ジャズ・サンバ」に続く本格的ボサ・ノヴァ・アルバム、「ゲッツ/ジルベルト」でジョアン・ジルベルトを始めA.C.ジョビン、ミルトン・バナナといったブラジルの巨匠達と初めて共演したゲッツにとってその体験は強烈な印象を残したようだ。柔軟なリズムと微妙なタッチで繰り出される音色に彼は目を見張った。しかしその出会いは必ずしもスムーズなものではなかった。後年関係者の証言を読むと、デリケートなハーモニーを駆使し、あくまでもソフトに小声で歌うジョアン・ジルベルトにとってゲッツの演奏は騒々しく無神経に映り、何度も衝突の危機を迎えたようだ。そしてゲッツとジョアンという超我がままなアーティストの間に入ったジョビンの苦労が伝説となって語られている。
レコーディング風景がどんなものであれアルバムは成功した。アルバムの中の「イパネマの娘」をシングル・カットした時、テイクの長さの関係でジョアンのヴォーカル部分が(大胆にも)削除された所為で、「ゲッツ/ジルベルト」の『ジルベルト』が英語版の歌詞を歌った当時の彼の妻アストラッドのことを指す、という誤解を持った人も多かった。しかしアルバムを聞けば誰でもすぐに理解できるが、音楽全体をリードしているのはジョアンであり、ジョアンの声とギターがあって初めて成り立つ世界だったのだ。ジョアンの名もこのアルバムを契機に、最もミステリアスなアーティストとして世界へ浸透して行く。
'60年代のブームを過ぎた後ブラジルではボサ・ノヴァは急速に勢いを失う。「愛と微笑みと花」(ジョビンの名曲『メディテーション』の歌詞に出てくるフレーズで、ボサ・ノヴァの世界を象徴している)と言った余りに美しいものだけを歌い、社会性を無視している、という批判を浴び、よりメッセージ性が強くその当時世界で蔓延し始めていたロック的な要素を持ったMPBにとって変わられていくのだ。しかしブラジル以外の国では、かえってそれが普遍性に繋がりスタンダードとして定着していくことになる。そしてボサ・ノヴァの主要なミュージシャン達は本国のブラジルよりはアメリカ、ヨーロッパといった外国にその世界を広げて行く。そんな中ジョアンも「ゲッツ/ジルベルト」の成功から80年代に入るまでブラジルには戻ることなく外国での生活を続けた。
『ボサ・ノヴァの創始者』としてジョアンの名は大きく取り上げられている。事実彼の成功がなければボサ・ノヴァはこれ程の広がりをみせなかっただろう。しかしジョアン自身はボサ・ノヴァというものに何の関心も持っていないようだ。彼は「ボサ・ノヴァは自分には関係ない。自分はただサンバを演奏しているだけ・・」とコメントしている。ボサ・ノヴァにもいろんなスタイルのものがあるが、その多くは軽いリズムのジャジーでオシャレな音楽と表現されるようなものだ。ジョアンはその事を嫌っているのかも知れない。ジョアンの演奏は表面的には軽くソフトに聞こえるがその奥には深い瞑想的な世界を持っている。勿論彼のデビュー当時からその世界は明らかだったが、ブラジルを離れた後はさらに自分自身に忠実な演奏をするようになったようだ。海外に居を移してからリリースされた「イン・メキシコ('70)」「三月の水('73)」「イマージュの部屋('77)」ではより瞑想的な世界に磨きがかかり、確かにボサ・ノヴァという括りでは捉えられない、深いアーティスト性を持ったアルバムになっている。
『哀愁(サウダージ)はブラジル人の歴史だ。私達の音楽には、アフリカ人、ポルトガル人、インディオの哀愁が流れている。人間の有り様を知っている三つの人種のね。これは非観的な達観というわけではない。ただ魂のない人間には人生のやるせなさが理解できないということで・・私達の音楽が美しいのは、哀愁が幸福より美しいからだ・・』これはもう一人のボサ・ノヴァの創始者ジョビンの言葉だが、ジョアンの演奏はまさにこの言葉を体言した深いものになっていったのだ。
本作品「ゲッツ/ジルベルト・アゲイン」は1977年にリリースされている。最初の出会いから10年以上経ってからの再会だ。その間'64年にカーネギー・ホールでの二人のコンサートの模様を録音した「ゲッツ/ジルベルト#2」がリリースされているが、その中では殆ど二人は一緒には演奏していない。僅かに後年リリースされたCD版のボーナス・トラックで3曲ほど一緒の場面があるが、それもなにかギクシャクとした印象しか残さないものだった。あれほど成功したアルバムを作った二人ではあるがその関係はあまり良好ではなかったようだ。10年以上の時間が流れやっと二人の共同作業が実現したわけだが、その間の経緯にはどんなものがあったのだろう。このアルバムでも音楽の全体像は前回同様ジョアンが作っている。より研ぎすまされた瞑想的な世界に、ゲッツを引きずり込んでいるようだ。ジョアンの声とギターは、まるで穏やかな湖のように静けさをたたえながらその奥で素晴らしいスピード感を持って疾走する、という矛盾を見事にやってのけている。そしてゲッツはその中で、メロディアスでクールな、まぎれもないゲッツのスタイルを貫いている。強烈な個性のぶつかり合い、だがその醸しだす世界は美しい。ヴォーカルで参加しているミウシャはジョアンの二人目の妻だ。包容力のある彼女のヴォーカルもこのアルバムの重要なファクターとなっている。そして前回ジョビンが果たした音楽監督的な役目を、やはりボサ・ノヴァ・ギタリストでありアレンジャーとしても活躍しているオスカル・カストロ・ネヴィスが担当している。