[大人のコラム]

 

GQ Japan 2001/12月号

the VOICE 時代はヴォーカルだ
GQ Japanのヴォーカル特集記事
「ジョアン・ジルベルト〜その驚くべき魔法の声」
 ジョアンの神秘的な声の秘密を解説しています。

もう20年くらい前になってしまうが、ヘッドフォン・ステレオが出始めの頃、珍しさも手伝って早々に手に入れいろんな音楽を聴いたことがある。今ではそれは当たり前のことになっているが、小さく軽いヘッドフォン頭にのせ音楽を聴きながら街を歩く・・、その頃の僕にとってそれは新鮮な体験だった。音楽に浸ったまま歩くと、街の情景が違った表情に見えた。音楽のタイプによってその情景の見え方が変化したりするので、それが面白くていろんなテープを持って歩いたものだ。でも半分音楽に気をとられたまま歩く自分の姿はなんとなくみっともないような気がしたし、なによりも面倒臭がりで飽きっぽい性格なので、軽くて小さいとは言え、プレーヤーとヘッドフォンを持って歩くのが邪魔になり、その習慣自体はあまり長続きしなかったが・・。
ジョアン・ジルベルトの「三月の水」はそうやって聴いた中で一番印象に残ったアルバムだ。ジョアンのギターと歌にわずかなパーカッションを加えただけのシンプルな構成で、極端にまで簡潔にエンターテインメント性を排した作品だ。ジョアンの物憂げな声とギターはまるで感情を失ったかのように、起伏もなく淡々と続き、ただひたすら同じメロディを繰り返し歌っていく。サウンドにきらびやかな空間性を与えるリヴァーブは大胆にカットされ、耳のそばにジョアン自身がいるかのように、かすかな息遣いやリップ・ノイズまでが赤裸々に迫ってくる。しかしその醸し出す世界は不思議な安らぎと懐かしさに溢れている。感情を排したような演奏から生まれるものは冷たい非人間的なものではなく、かえって温かく豊で微妙な感情を感じさせるものだった。
そのテープを回し始めた瞬間から僕の中で急に時間の流れが変わった。突然周りの空気感が濃密になり、ゆるやかなうねりの中にすべてが飲み込まれた。そして僕の歩く都会のゴミゴミとした街は未知の世界の迷路になり、行き交う人の表情はなぜか謎めいた安らぎを湛えているように見えた。もちろんどんな音楽をかけたときでも自分が目にする情景に微妙な変化が起こり。それを楽しんでいた訳だが、ジョアンのアルバムはそれとは違っていた。その時の僕の印象は周りの情景が変化する、というよりまったく別の世界につれて行かれたような感じだったのだ・・。
ジョアンの演奏は一瞬にして空気感を変える力をもっている。それはまるで魔法のようだ。ジョアンの歌とギターに包まれた瞬間から時間の流れはゆるやかになり、安らぎに満ちた空気に包まれてしまう。現実の世界ではない別の世界への誘い・・、さまざまな芸術的パフォーマンスがそのことを目指して繰り返されている。しかし実際に成功している例は稀だ。様々な美しい世界が構築され、様々な試みが繰り返されても、別の世界への扉は硬い。目の前で繰り広げられる世界に目を奪われても、観客にその空気を呼吸させ、その時間の中を生きさせることは難しい。しかしジョアンはそれを端的やってのけるのだ。その秘密に少し迫ってみよう。
ささやくような・・、と評されるジョアンの声。一聴すると弱々しくさえ聞こえる彼の声だが、その芯はまるで絹糸のように軽やかさと強さを兼ね備えている。小さくつぶやくように聞えても、実際につぶやいている訳ではない。本当に小さな声で歌っているとしたら、その声はいくらマイクを通して拡大しても人の心に何も残さないだろうし、それ以上に観客に聞えるかどうかも怪しい。いくら優れたシステムを使っても元になる声自体に力がないと無駄になってしまうのだ。
変な例えに思われるかも知れないが、東京ドームを想像して頂きたい。あの球場の屋根は実は薄い繊維の膜で作られている。それが屋根の形を成しているのは、内部に絶えず空気を送り込んでいるからだ。ジョアンの声はあの東京ドームの屋根のようなものだ。一見薄く弱々しく見えても、その内部にはそれを押し上げる高い圧力の空気(集中力)が存在している。79年だったと思うが、サン・パウロで彼のコンサートに行ったことがある。その時も彼はたった一人で市立劇場という二千人規模の会場で演奏していた。僕の席は三階の遠いところだったが、それでもPAシステムで増幅された音だけでなく、彼自身の肉声も聞えていたのをはっきりと覚えている。
もうひとつ特筆すべきは、音としての言葉に対する集中力の素晴らしさだ。彼は常に細心の注意を払って一つ一つの単語を発声していく。その音が柔らかなカーヴを描き、次の言葉に移っていくのだが、それぞれのカーヴの着地点を過つことは決してない。カーヴは滑らかに重なり合い、それが空気感の密度を高めていく。僕の友人が彼の歌を聴いて「息をしていないんじゃないか・・?」という感想をもらしたことがあるが、それはそのカーヴの重なりが多彩に見事に重なりあって継ぎ目を感じさせないからだ。
軽くおしゃれ、といった言葉で評されるボサ・ノヴァの創始者であるジョアンだが、彼自身の世界は外見とは違い、そういった言葉とは無縁のものだ。そこに見えるのはひたすら美しい世界を構築するために最大限の努力を払うアーティストの姿だ。そして彼の音楽は西洋文化のものでありながら東洋の侘びさびや悟りのといった世界に近いものになっている。