[大人のコラム]

 
対談 馬場康夫+中村善郎                

●これは僕のデビューCD「リテラリオ」('90)発売時に作られた小冊子のために出来た対談です。ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫さんは映画監督としても活躍されてますが、アマチュア時代の最初の監督作品のタイトルが「イパネマの娘」というボサ・ノヴァ・ファンでもあります。対談は西麻布のEVERYDAY SOMEBODY HAPPY BIRTHDAYというバーで行われました。

馬場康夫:六本木とか吉祥寺でお邪魔させていただきましたけど、ライヴは相変わらずコンスタントにやっておられるんですか?
中村善郎:えー、ここ半月ぐらいレコーディングで…
馬:ああ、ここ半月がレコーディングだったんだ。
中:ええ、しばらくライヴはやってなかったんですけど…
馬:また、再開…?
中:ええ、昨日久し振りにやったら全然ふつうの曲を覚えてないんです(笑)いきなり何もできない、焦りましたね。
馬:(笑)(テープを聞きながら)一曲目はピエール・バルーだと思うんですけど、あとは全部ご自身の…?
中:そうですね。
馬:作詞作曲全部ご自身ですよね?ポルトガル語で書かれるわけでしょ?
中:そうです。
馬:訳詞を見せて頂いたけど、あれも中村さんの…?
中:ええ、誰もやってくれませんからね。
馬:(笑)あれなんかも、こなれてるな、と思って…。ポルトガル語、て不自由しないのですか?
中:いや、結構不自由しますよ。しゃべる方は特に…
馬:聞く方は?
中:聞く方が楽ですね。
馬:でも、やっぱり辞書を引き引きですか?そうでもない…?
中:いや、やっぱり引きまくりますよ。
馬:なるほどね。まあ、一番シロウト的に感心しちゃうのは、日本人じゃないみたいに聞こえるのね。(笑)日本人としたらすごいよなという…   
  テープ聞かせて頂いたら一番最初に、僕タイトルを知らなかったんですけど、『祝福のサンバ』て、『男と女』の中でピエール・バルーがギター一本で歌ってたやつですよね。あれ全部聞きたいと思ったんだけど、途中からストリングスかなんか盛り上がってきちゃって、かき消されましたけどね(笑)。
中:全部やろうか、という話もあったんですけどね。
馬:これだけ他人の曲で、後は全部オリジナルなわけでしょ?
中:ええ。
馬:これはなにかすごく思い入れがあるだろうな、と思って、僕なんかはもうガクガクッときちゃうんですけど…。
中:ハー…、あんまり無いですけどね。   
  最初にアルバムの企画が出た時、これの作詞者のヴィニシウス・ジ・モラエスという人に、僕がオリジナルでオマージュを捧げては、という話があったんですよ。その名残というか…。
馬:『イパネマの娘』の作詞者ですよね。
中:ええ、彼はボサノヴァ創世期のパトロン的な存在だったんですよ。フランスで外交官をやっている時にブラジルからミュージシャンを呼んでボサノヴァを広めたりして。
馬:ああ、じゃあピエール・バルーは直接ヴィニシウスと関わりがあったりしたかもね。 僕たちの世代って、ボサノヴァというと、まず『男と女』から入ってるんですよ。 ダバダバダ…、世界でしょ。ダバダバダはまあどうでもいいんだけど、あの中でスタントマンだったピエール・バルーの回想シーンでバルー本人がこの曲を歌ってますよね。あれが物凄く耳についてたんですよ。で、これが最初に来ると、その意図された意味とは別にね、僕なんかボサノヴァのように凄く心地よくしてくれる曲に最初出会ったのがこれ、みたいな感じだから、こうヨヨヨッときちゃうんですよね。
中:(笑)
馬:そう言えば、前に中村さんと、ボサノヴァはアクセルとブレーキを使う音楽だという話をしましたね。あれ非常に面白かったんだけど、僕らの世代って、クリード・テーラーがプロデュースしたジョビンの『ウェーヴ』とか『タイド』とかを聞いて、「おお、いいな、オシャレな音があるんだな」なんて思ってたんですよ。高校三年か大学に入ったころかな。でその頃、周りはやっぱりロックが流行っていて、心地音聞きながら「お前ら子供だな…」みたいなそんな思いがあったりしたんですけど、言ってみればロックはアクセル踏みっ放しの音楽じゃないですか。もう最初から最後まで踏んでないと評価されないような。それに比べてボサノヴァはどんな形であれ聞こえて来るといい気持ちになれる。押しつけがましくないというか、イージー・リスニングっていうと安きに流れてしまうけど、それは言ってみれば中村さんのいうブレーキの部分だけしか聞いてないんですね。きっと
中:そうですね。アクセルの部分を聞いていないのかも…。ボサノヴァも結構アクセルを踏んでいるんですけど同時にブレーキも踏んでいるから緊張感があるんです。普通ボサノヴァは力を抜いてだらっとやっていると思われがちなんですけど、そういう風にやっても絶対にボサノヴァの緊張感は出ない。例えばジョアン・ジルベルトがやっていることなんか神業のように思えちゃうんだけど、腹に力をためて出ていこうとする音を丹田で引き止める。そこに緊張感が生まれるし、その集中力は凄いと思います。   
そして自分の表現する世界をある点で綺麗に揃えてしまうわけです。それは例えば絵を描くというか、スクリーンに映画を写すような作業です。で、集中力がないとその絵やスクリーンが揺れてしまうわけです。
馬:なるほどね、それはすごく面白い言い方だなあ。
  でもアクセルを踏んでいる感じというのは見えないですね。
中:見せないんです。それを見せると感じが変わってしまうから…。
馬:そう言えば以前都々逸とボサノヴァが似ているというような話をされましたよね。
中:ええ、優れた芸というものは、芸が見えない…、どうやってそうなっているのか分からない、ミステリーだと思うんです。そういった世界を都々逸やボサノヴァは持っていると思うんです。映画なんかでもあるけど、どうやって撮ったか分からないショットとかありますよね、写真なんかでも、どうしてこんなに離れた所にピントが合ってたりするんだろうみたいな…。色々不思議な事ってあるんだけど、それを何となくやってしまう…。
馬:なんとなくやってしまう、ていうのは以前中村さんが仰ってたけど、目的じゃなくて手段になっていると考えれば、何となくみえますね。
  そのー、映画でも新しいテクニックを見せることが目的じゃなくて、それを使って何かを見せる手段になっていれば、その芸はあざとくないから、非常にすんなりと入って行くというのと同じですね。
中:なんか、テクニックが見えるというか、あんたはうまいですねーっ、みたいのは引っ掛かる…。よく勉強しましたとか練習しましたとかいうのは芸術とか芸、という世界とは違うと思うんですよ。一見誰にでもできそうに見えて絶対に出来ない、みたいなもの方が芸の奥が深い…。
馬:ああ、誰にでも出来そう、みたいのはありますよね。都々逸なんかでも…。
中:そうですね。
馬:それに落語とかでも…。
  落語なんかちょっと気のきいた素人で普段しゃべらせるととても面白い奴がいたりして、落語勉強してるから、ていうんでやらせたら、無茶苦茶つまんなかったりする。凄く練習して熱演していても、熱演が前にでてきたら疲れちゃいますからね。そうじゃなくてサラッとやられると嬉しくなっちゃう…。
中:落語聞いていて噺がそのままに聞こえてくるようじゃ駄目ですよね。その映像が見えたり、登場人物の感情になったりさせないとね。それと同じことですよ、音楽も写真も…。写真見ててその絵しか見えなかったりしたらしようがない。その後ろにある空気感とか音とかが聞こえてこないとね。音楽も逆にある心象風景のようなものとか感情とかを感じさせないといけないと思うんです。
馬:ところで今度のCDでそのアクセルとブレーキの使い分けが出来てる、ていうのは…?
中:自分でいってながら中々出来なかったりするんですね、これが…(笑)
馬:(笑)女性の声が何曲か入ってますね。これは…?
中:ポルトガル語の歌はソニア・ローザさんで、英語の方は橋本一子さんです。 馬:へえー、ソニア・ローザさんが入ってるんですか。
  橋本一子さんてピアニストですよね?
中:ええ、ピアノも弾いてもらいましたけど、主にヴォーカルとして…。
馬:これ、例えば『君の写真を送ってくれ』、て中村さんがお書きになった日本語の詞を見る限りすごく皮肉で面白い人だと思ったんだけど、ポルトガル語の詞で男の歌があって英語の詞で女の歌がある。これなんかアメリカとかに恋人を置いてきちゃったブラジルの若い奴の悲劇みたいな…(笑)
中:悲劇でも無いですけどね…。
馬:『さよなら、ボン・ヴォワヤージュ』もそうですよね。ちょっとポルトガル語なまり風の英語だったりして…。
中:わりとエトランゼの世界を…。
馬:それはすごく分かる気がする。
中:僕の場合、別にボサノヴァ、ブラジルというものにこだわっているわけじゃなくて、無国籍なものを作りたいんです。その二曲なんかフランス映画みたいな雰囲気が出ればなんて思ってやったんだけど、フランス語は出来ないんで英語にして…。
馬:(『さよなら、ボン・ヴォワヤージュ』を聞きながら)これ歌詞が無かったんであれだけど、飛行機が星みたいに見えるみたいな事を英語で言ってますよね。
中:ポルトガル語の方は飛行機の窓から下を見下ろすっていう…。同じシーンを思い返しながら…。よく映画なんかであるでしょ…。
馬:ああ、なるほどね。訳詞を全部読みたいな…。  
  これからの音楽ってね、コンサートで聴きに行っていうか、それだけを集中して聴くのと身の周りにあって欲しい、ていうのと別れるというか、違って来ると思うんですよ。で、ローリング・ストーンズを聴きにいったりするのは決して嫌じゃないというか、それはそれなりに熱くしてくれてね、ネジを開けっぱなしたみたいになれるますよね…。でも、それは皆が沸騰しようとしている所だからいいんであって、浴衣で涼んでいる時に煮え湯なんかこうまかれたりしたら、やっぱり暑苦しいみたいの、てあるじゃないですか。そういう意味ではこういうのとかボサノヴァとかはどんな場所でもフィットするような気がしますね。以前ユーミンのインタビューを読んだら、スキーに行った時合うのはどんな曲でしょうね?と聞かれて、ボサノヴァなんか意外と合うんですよ、なんて答えてたけど、意外とかは余計じゃないかなんてね…。(笑)   
  で、ボサノヴァとか都々逸て金持ちというか、余裕のある人の音楽っていうか…。

中:そんな事ないですよ…。(笑)   
  音楽の世界と実際の生活とは関係ない…。それは要するに芸というか、大人にならないと、という音楽だと思うんです。パーソナリティーやその人の状況とは関係ない。
馬:大人に…?
中:ええ、それは人間の魂と魂の距離を知るというか、自分がどれだけ自分自身になれるかという事だと思うんです。ブラジルに居た時思ったけど、ブラジル人というのは凄く子供な所もあるんだけど、そういった意味では非常に大人なんです。まあ、人種のるつぼみたいなところがあってのそこからそういった生き方が生まれたのかも知れなけど、例えば自分のすぐ側にいる人間の肌の色や顔つきが全然違ったりして本当の気持ちは理解しあえない、アメリカではそういった事が人種差別みたいな恰好で否定的に出るんだけど、ブラジルでは一見そういった事がないように見える。おたがいに理解出来ない同士でもそれなりに仲良くしようとするんです。個人と個人の距離が遠いとか、自分がいかに孤独であるかという事を知った上で付き合うんです。でもそれは人種がどうのこうのというだけの問題じゃなくて、人間同士の関係自体がそういった距離で出来ているんです。日本人なんかはその距離を誤解しているところがあるような気がするんですけどね…。   ボサノヴァとか都々逸とかはそういう誰にも寄り掛からないというか、しっかりとした自分を確立した人達の音楽だし、僕もそういった方向を目指してるんです。